どうもどうも、大志ですm(_ _)m
最近、八戸市の児童科学館でお仕事をさせていただくことがあるのですが、そこに向かう途中のラジオで
高見のっぽさん
の話がちょうど流れていまして。
個人的に「なるほどな」と感心し今後意識したいと思った内容だったので、自分の備忘録も兼ねてご紹介しようかなと(・∀・)
子どものことを
小さい人
と呼んでいたのっぽさん・・・その意味とは?!
【参考サイト】
大人は「大人"ども"」と言わない。子どものことを敬意を持って「小さい人」と呼んでいたのっぽさん
先日、
高見のっぽさん
が88歳で亡くなられた訃報がニュースで流れました。
こちらの高見のっぽさんという方、元々は「高見映(たかみえい)」という芸名で活動していた俳優さんで。
NHK教育テレビにて放送された子ども番組「できるかな」にて
ノッポさん
の役に選ばれてからは、ノッポさんとして親しまれていましたね(・∀・)
ちなみに、できるかなが終了した後もノッポさんと言われ続けていたこともあり、「高見映」から「高見のっぽ」へと改名したそうですな。
そんなのっぽさんは、この「できるかな」という番組にて、
視聴している子どもたちに向けた工作
を色々と紹介していたのですが、のっぽさんはその子どもたちのことを
小さい人
と普段から呼んでいたそうですね。
ここからはちょっと自分の憶測も混ぜますが。
そもそも、この「子ども」の「〜ども」とはどういう意味かというと、簡単に言えば
〜達
と同じ意味合いになります。
ということは・・・その子どもが複数いても「1人」だったとしても
子たち
と呼んでいることになりまして・・・その子、その子に色々な個性があったとしても、
ひとまとめに「子ども」と呼んでいる
と捉えることができるんですよね。
のっぽさんはそのことを疑問に思ったそうで、もし大人側が
大人"ども"
なんて呼ばれたら嫌だよね?と思ったことから、子どもたちのことを
小さい人
と敬意を持って呼ぶようにしていたそうですね( ・`ω・´)
ちなみに、「小人(しょうじん)」という大人の対極の言葉はありますが、おそらく可愛らしい言い方で「小さい人」と呼んだのかなと思います。
聞く方によっては屁理屈に思うかもしれませんが・・・でも、個人的には「なるほどな」と感じた部分でした。
小さい人たちは「大人よりもずっとずっと賢い」・・・という考え方
ということで、子どものことを敬意を持って「小さい人」と呼んでいたのっぽさん。
そのため、普段からその小さい人に挨拶するときや、泣いている赤ちゃんに話しかけるときなども、
・僕はのっぽと言いますが、君のお名前を教えていただけませんでしょうか
・どうされましたか。一生懸命おしゃべりしていますね。眠たいですか。どうぞどうぞお休みください
と、優しく
敬語で
話しかけていたそうですね(・∀・)
その光景に、そばにいた親御さんが驚いていたり、ニコニコになったりしていたんだとか。
それほど子どもに敬意を払って接していたのっぽさんですが、著書「ノッポさんの『小さい人』となかよくできるかな?」ではこう書いていたそうです。
「子どもだからといって、“経験も浅い、物事をよくわかっていない存在”とは、これっぽっちも思っていないからですよ」
と。
確かに、年を重ねていくと「経験がものを言う」みたいな風潮が強くなり、
経験のある人の方が偉い
みたいになりがちですよね?
そのこともあって、大抵の大人は自分の経験から外れたことをされると
そうじゃない!
こうしろ!
と言ってしまいます・・・それは大人 対 大人でも起きることですが、特に「対 子ども」で起きることが多いですよね?
でも、のっぽさんは子どものことを「経験が浅いから物事をよくわかっていない存在」だと考えず。
大人が思うより、なんなら大人よりも色々と分かっていて、
ずっとずっと賢い存在
だと考えていたそうですね( ´ー`)
小さい人が失敗しても責めない。大人は「失敗を保証する」ことが大事
のっぽさんが演じていたノッポさんは「できるかな」という番組中、言葉を発することなく
身振り手振り
で工作をしていたわけですが、その紹介していた工作の中には、
子どもが作るには難しいモノ
もあったそうですね。
しかも身振り手振りで紹介しているものだから、手順も詳しくは分からず・・・あくまで作る流れと完成品を紹介していたわけですが。
これらは敢えて「手順を教える」ことはせず、子どもたちの
やってみたい
というやる気を引き出すことが目的だったそうですな(・∀・)
親御さん目線で考えると
完成させないと意味がない!
と思ってしまうかもしれませんが、のっぽさんの考えでは、
うまくいかない経験がすごく大事
だそうで。
もし、そのとき失敗したとしても、
・次に道具を使うときは前よりも上手になっている
・もっと上手く作るために工夫する
など、子どもにとっての経験はどんどん増えていくと。
その失敗を積み重ねて人は成長していくわけですから、大人がそれを遮ってはいけない・・・むしろ
大人は“失敗を保証する”ことが大事
と思って接してあげましょう・・・とのこと。
大人になると「物を壊さないように」「怪我をしないように」と考えてしまうと思いますが。
子ども相手には、最悪「物を壊しても大丈夫」なように。
または、大きな怪我はさせず、でも「痛いと感じる経験」ができるように、大人は準備してあげる・・・。
もし子どもの失敗に対してすぐに口を出してしまうという方は、
失敗しても大丈夫な方法
を作ってあげて素直にやらせてあげると、逆にこちらが勉強になることをやってくれる可能性もあります。
そうやって、大人も一緒に「新たな発見」をしていけば、子どもの失敗が楽しく感じるかもしれませんよ!
あとがき
ということで今回のお話のまとめ。
・のっぽさんは子どものことを敬意を持って「小さい人」と呼んでいたよ
・大人が「大人ども」と言われたら嫌なように、子どもを「小さい人」と呼んでいたよ
・その敬意を持っていたから、赤ちゃんにも小さい人にも「敬語」でお話をしていたそうだよ
・子どものことを「経験が浅いから物事をよくわかっていない存在」だと考えないように意識するのが大事だよ
・子どもは「うまくいかない経験がすごく大事」、大人は「”失敗を保証する”ことが大事」だよ
自分も子ども向けイベントでは、「あえて失敗をさせる」ということをよくやっていまして。
例えば、「人体模型の内臓をはめる」というブースが児童科学館にあるのですが、初めてやらせてみると、小腸を肺の位置に入れたり脳みそをお腹に入れたりするんですよね(笑)
自分にとってはそれが新鮮で、この子はこういう答えにたどり着くんだな〜と、毎回思うことがあります(・∀・)
もちろん、うーんうーんと悩む時間が増えたらヒントをあげたり、本当に悩んで動けなくなったら答えを教えてあげるのですが。
たとえ小腸がどんな役割なのか知らなくても、子どもは子どもなりに形を見て、色を見て組み立てていくわけで・・・その経験も大事だと個人的には思って接しています。
それで、次回その子が遊びに来たときに、「心臓はこの位置にある!」と1つでも正解が分かれば成長。
それを繰り返してもう1つ・・・もう1つ・・・と知識が増えていけば、それが楽しくなって自分から勉強していく可能性が高まると。
そうなってくれることが個人的には嬉しいなと思ったりします( ・`ω・´)
今後も子ども向けイベントをやることはあると思いますが、のっぽさんの考え方も意識しながら続けていこうと思います!